大家好!
マカオのソンツンです。
インスタグラムのあるフォロワーさんがこんなことを画像付きで投稿されていたんです。
「どんだけ中国語を頑張っても一生ネイティブのようにはなれない」
皆さんはどう思われますでしょうか?
私はこのフォロワーさんと全く同意見です。
日本で生まれ、物心がつき始める幼少期の頃に中国に移住してずっとそこで大人になるまで育ったという人であれば、中国語もネイティブ並みになれるかと思います。
ですが、なかなかそんな人はいないですよね。
実際、当ブログをご覧になっている方々も大人になってから中国語の勉強を始められた方が全員だと思います。
「えーーーー、頑張ってもネイティブレベルになれないの?!」
がっかり😞された方もいらっしゃいますか?
ですが、少々お待ち下さい。
このフォロワーさんの投稿にはまだ続きがあるのです。
こんな言葉があったのでそれを紹介します。
一部プライバシー保護のため、私の方で若干書き直しております。
「日本人に生まれてきたことを後悔したことがある。初めて中国に渡った時に、全く中国語分からなくてふとそんなことを思った。『ネイティブになれたらなぁ…』いつも心の中で考えていた。
なぜなら、言葉ができなくて寂しいから…
でも、ある時に悟った。一生頑張っても結局ネイティブにはなれやしない。
だから日本人が話す中国語でいいじゃないか。
日本人中国語でどんどん楽しもう。
日本人じゃなければ良かった!なんて恥じることなく、
一生ネイティブにはなれないのだから」
私も全く同じことを思ったことがあるんです。
全く喋れない状況だったので、「ネイティブになれたらなぁ」と考えたもんです。
フォロワーさんと同じで言葉が出来なくて寂しい思いがあったのでしょう。
食事に行けば注文の仕方も分からず、授業中の先生の言うことはおろか、街中での人々が何を喋っているのか何も分からない。
気晴らしにバーに行っても、知り合った女の子と会話することもできない…
昆明に行っていきなり何もできない人になってしまったんですね。
でも、いつからだったかは覚えていないんですが、私も悟ったんです。
「ネイティブには絶対になれない。でも頑張ればネイティブのレベルに近づくことはできるはず。だったらそこを目標に勉強していこう」と。
そのように考えてから今に至ります。
そしてとっくの前に留学を終え、マカオで働いている現在も中国語の勉強をしています。
フォロワーさんの「日本人中国語で楽しもう」、これは決して発音などを度外視していいと言っているわけではありません。
ネイティブにはやはりなれないけど、日本人として堂々と中国語を使えばいい、たとえ間違えたとしてもそこから矯正してネイティブレベルに近づけていけばいい、そういうふうに私自身で解釈しています。
私がネイティブレベルに近づいたのかというと、
確かに今では普通に会話してますし、たまに「日本人だったの?え、中国のどこから来たのかと思ってたよ」なんて言われることもありますが、
自分自身まだまだネイティブに近づいたなんて全然思ってもないですね。
そう思ってしまうと成長が止まる。
つまり、語学の勉強に終わりはないってことですね。
“学外语是没有尽头的”
今回は以上です。
写真はあんまり関係ないんですが、大三巴牌坊(聖ポール天主堂跡)です。